きものでお出かけ【美術館】静嘉堂文庫美術館 その1
4月の某日、待ちに待った着物でお出かけを強行しました。
ウィルス蔓延の恐れもあり、行くべきか迷いもありました。しかし、例え誰も同行者がいなくても決行するつもりでした。
というのは、この美術館は 移転することが決まっていたからです。 なんとしても移転前にここの場所を訪れてみたかったのです。
(案の定、3回目の緊急事態宣言が発令され、 今は休館となってしまいました。 早く再開できて、多くの観覧者を迎えてほしいです。)
まずは予備知識。
<静嘉堂文庫美術館>
東京都世田谷区岡本にあり、 豊かな緑に囲まれた場所に建てられています。
三菱第2代社長・岩崎彌之助(創設者・彌太郎の弟)が東京の駿河台に静嘉堂を自宅に開設し、その子・小彌太(第4代社長)が後に高輪に移動させました。 さらに この地に明治43年に ジョサイヤ・コンドル(イギリス人建築家、日本の近代建築の祖)に依頼し家廟を建て、 追って側に静嘉堂文庫を建てました。
そこには 国宝7点、重要文化財84点、漢書12万冊、和書8万冊と6500点の東洋古美術品が収蔵されています。文庫とは文字通り書物を保管する書庫という意味です。どうりで書物がたくさんです。
昭和になってから家族より寄贈され、一般公開が始まり、平成には展示室が建てられ、年に数回公開展示されています。 高台に立つその建物の裏手からは富士山等が見えます。
周辺の自然は 岡本静嘉堂緑地と呼ばれており、世田谷区の管理となっています。
特記すべきものは収蔵品は、
国宝『曜変天目』(ようへんてんもく)。 現存の3つのうちの一つ。
南宋時代の作とされ、作者は不明。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられて権力者たちに愛されてきた。
こんなエピソードが残っています。三代将軍家光の病気回復を願って春日局が薬断ちをしますが、自分が床に伏せてもそれを貫きます。それを憂いて家光がこの茶碗に薬湯を入れ飲むように勧めます。しかし、春日局はその薬を飲むふりをして首元に流し入れるというものです。 その後 茶碗は春日局へ下賜され、そこからゆかりの稲葉家へ渡され、稲葉天目とも言われています。
もっともっと知りたい方は HPへ訪れてみてくださいませ。
お出かけの続きは その2へ。
美術館の裏庭、 新緑を覆われて空気が美味しく感じます。
マスクを外して 深呼吸。(お喋りはなしです!)
この日、同行者は平日ということもあり2人。 Kさんともう1人は夫。カメラマン&運転手というわけではないですよ。助かりましたが、本人も大いに楽しんだ様子でした。
今年の目標は 美術館はたくさん回ること。
実行できるように早く早くコロナ禍が終息しますように!
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